8 December 2009

アイルランドの歴史 1 (古代ケルト~1922年共和国独立まで)


History of Ireland -1


いきなり「ユニオニスト」や「ナショナリスト」と言われても分からないだろうと思うので、今回は少し歴史のお勉強をしましょう(^^)/

小生の人生の中で一番努力していた(?)大学受験時に作成していた世界史ノートを今だ保管している。
イギリス、フランス、ローマ帝国、ドイツや東欧諸国の歴史については、しっかり網羅されていたのだが、アイルランドについては全く記載されていない。

歴史の表舞台から全く顔を出すことが出来ず、常に軽視され続け、欧州辺境の地と思われていたアイルランドの成り立ちから独立までの道のりを記載してみた。


先住民の話(BC5000年)は置いておいて、ケルト人がブリテン島やヨーロッパ大陸から移住してきてBC200年頃に、ケルト人がアイルランドに小国を次々と作った。

古代ケルト(アイルランド)の宗教では、霊魂は不滅で輪廻転生を繰り返し、神々はしばしば動物や植物の姿を借りる。また日本の神道と同様、樹木、森、泉を神聖視していた。

聖パトリックがキリスト教を布教していき、カトリック教会や修道院を次々に建てていったのが5世紀の事。

ケルト人(ドレイド)はこの宗教を排除することなくケルトの神々と融合させて、聖パトリックもまた排除せずに土着的信仰とカトリックとの融合を容認していた。

ケルト十字架の円環は古代ケルト宗教の名残で、渦巻文・組紐文の根底は輪廻思想を意味するが、輪廻思想とは生命の循環であり、それは回転する円へと連なっていく。ケルト人が持っていた霊魂観をあらわす究極のシンボルが、回転する円すなわち霊魂の輪廻を象った円環という説や古代ケルト人が信仰していた太陽崇拝とも言われている。

また、ケルズの書に代表されるケルト芸術の代表的なものに渦巻文や組紐文などがあるが(とても素敵なので、機会があったらググってみて下さい)その根底は古代ケルトの輪廻思想から由来していると言われている。

(出典:ケルト/装飾的思考 鶴岡真弓著 愛蘭土紀行 司馬遼太郎著)

・・・む、難しいですか?


ちなみにこれがケルト十字架です。

このままの調子で書いていくと、とんでもない事になる・・・。

ということで、イギリスとアイルランドとの関係限定で簡単に書いていきます。

1171年、イングランド王ヘンリー2世がアングロ・ノルマン系の貴族を率いてアイルランドを征服。
アイルランド人の所有していた土地をひきつれてきた貴族に分与され、アイルランド人の農奴化が始まる。

1366年 キルケニー法制定。「イギリス人」と「アイルランド人」との結婚禁止。

1509年 イギリス王に即位したヘンリー8世が始めた英国国教会を設立し、ローマ・カトリック教皇を否定。 (元はといえば、ヘンリー8世の離婚問題で教皇と対立したのがきっかけだったのだが・・・)

1536年 ヘンリー8世、アイルランド地元の名士(諸侯)の同意なしに、勝手にアイルランド王と称し、カトリックの弾圧強化、イギリスの支配権が拡大。修道院の財産全て没収し、破壊される。

1641年 アイルランド同盟戦争、内戦状態へ。

1649年 クロムウェルがアイルランド遠征し、内戦鎮圧。
ほぼ全てのカトリック地主の土地が没収されて、イングランド・スコットランドから来たプロテスタント入植者へ分与。
没収されたカトリック旧地主は映画「アラン」で有名な岩盤のみで出来た不毛の地、コノート地方へ移住させられる。
また、この遠征により、人口の3分の1が虐殺により死亡、若しくは国外亡命した。
その後、国外植民地としてアイルランドを占領。

1695年 「カトリック処罰法」制定。
アイルランド語、文化、慣習の廃止、カトリック教徒は大学にも行けず、医師等にもなれず、土地も所有させられず小作人になるしかなかった。カトリックのミサに参加した者全員が火あぶりの刑に処された。

1789年 フランス革命の影響を受け、イギリスからの独立、信教の自由を求め大規模な反乱がおきる。

1801年 カトリック教徒解放という公約を示した上で、1800年にイングランド議会とアイルランド議会で連合法が可決され、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国が成立し、アイルランドは国外植民地としての自主性も失い、完全にイギリスに併合された。
しかし、公約は守られず留保され続けた。

1829年 ダニエル・オコンネルの尽力により「カトリック解放法」が制定。

1916年 ドイツの支援を受けたアイルランド義勇軍によりイースター蜂起が企てるが鎮圧され、首謀者は即刻処刑された為に、国民に早急なる独立の機運が高まる。

1919~1921年 アイルランド独立戦争

1921年 アイルランド側代表、イギリス政府は休戦に同意し、12月には英愛条約が調印された。
条約により南アイルランドにイギリス連邦下のアイルランド自由国が成立したが、アルスター地方の内6州は北アイルランドとしてイギリスの直接統治下にとどまることになった。

現在も続く北アイルランド問題はこの条約に始まっている。

ついでにその後のアイルランドは・・・

1938年 アイルランド憲法が公布され、国名を「エール」へ変更。
1949年 イギリス連邦(オーストラリアみたいな)から独立し、アイルランド共和国となる。

・・・数多くの苦難を乗り越える不屈の精神を持つアイルランド人の力強さに対して感服してしまうのと共にイギリスの汚く卑劣なやり方に、とても腹が立ちませんか??


そして、この「独立」がまた新たな火種を生むのであった・・・。

~つづく~

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