16 November 2009

Derry -2 : 城塞都市「ロンドンデリー」 (1)


2 : Walled City - (London)Derry (1) -



宿から見た朝の風景。
何気ない景色だが、とても魅力的。
この景色を見て、ふとアイルランド民謡の「ロンドンデリーの歌(ダニーボーイ)」のメロディーラインが思い浮かんだ。
郷愁に満ち溢れていて、センチメンタルになってしまうような美しい旋律は、広く世界中の人の心を惹きつけている。

早く街に行きたい。


アルスターブレイクファストをもりもり食べて、まずはデリー市街地へ。

ボグサイド地区に車を停めたので、「ロズヴィル通りの事件」について最初に見て回ったのだが、それは後程。
まずは、城塞の上をぐるっと回った。(よってこの辺の投稿は少し冷めた感じかもしれませんが、ご了承を・・・)

The Diamond

街の中心地に建つ大戦慰霊塔。
天使と雲の位置、そして空と雲の色あいがとても美しい。
この像、本当はシェフィールド(イングランド)に設置する予定だったが、デリーに置かれることになったそうだ。
ちなみに横に見える建物はAustin'sという世界で4番目に(何てビミョーな)古い百貨店だそうで・・・(1906年創業)。

Bishop's Gate


城壁に囲まれた街の中にある3つの門のうちのひとつ。
ゲートの上は通行自由となっており、(狭い)デリーの中心街をぐるりと一周することができる。



城壁の外にあった塔で、牢獄の絞首刑台だったそうだ(1792年建立)。

デリーはRiver Foyle沿いにある都市で、聖コロンバが546年に修道院をこの地に建てたのが始まりとされている。
最初はDoireと呼ばれていたが、やがてDerryとなった。
その後17世紀にイングランド(ロンドン市)より多くのプロテスタント入植者が移入し、植民地化に関与したため、Londonderryと名づけられた。


1688年、オレンジ公ウィリアム3世によって、イングランド名誉革命で王位を奪われたジェイムズ2世はアイルランドのカトリック教徒を頼りに、デリーに亡命。
しかし、デリー市民(プロテスタント)はイングランド名誉革命体制を支持し、ジェイムズ軍に抵抗した。
プロテスタントがデリー城壁内部に追い詰められ、兵糧攻めされ1ヶ月の篭城戦、糧食も尽き、人々は餓死寸前に。しかし、ジェイムズ2世の圧力に屈することなく籠城を続けたアプレンティス・ボーイズは、市壁の内部に敵勢力を寄せ付けはしなかった。イングランドからの援軍によって逆転勝利、その後長きにわたってプロテスタントの支配が続いた。

上の写真は城壁(ビショップゲート)の上から撮ったデリー市街。


アイルランドやナショナリスト達にとって「ロンドンデリー」という呼び名は極めて屈辱的な為、「デリー」と呼ばれており、イギリスやロイヤリスト達は「ロンドンデリー」と呼んでいる。

居住区も高台になっているRiver Foyceの東側や城壁内はプロテスタントが、城壁の西側にある湿地帯ボグサイド地区はカトリックが、それぞれ分裂して居住している。

そして城塞都市なだけあって、数多くの砲台が設置されていた。
多分メンテナンスすれば現役で使用できると思うが、このような風景を見て、物悲しい気分になっているのは何故だろう。

~つづく~


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