11 November 2009

Derry -4 : 北アイルランド紛争の発火点~ボグサイド地区


4 : Welcome to FREE DERRY (Bogside)



デリーの城壁から見たカトリック居住区であるボグサイド地区である。(The Bogside)
この地は昔、湿地帯で隣に流れているRiver Foyleの支流だったような地形と思われる。
カトリック教徒たちはこの居住条件の悪い地で、貧困な生活を強いられ、プロテスタントからの差別を耐え忍んで生活していた。


やがてこの地区は、1960年代から70年代にかけて「The Battle of Bogside」と語り継がれている数多くの暴動やデモ、軍事衝突などが発生し、テロ多発地帯として世界中に知られるようになった。
また、1972年に起きた「血の日曜日事件」はジョン・レノンやU2らが題材として取り上げられ、正に北アイルランド紛争の発火点となった場所である。


ボグサイドから城壁を見上げると、「Terry McCaffertyという政治犯を解放せよ」「1971年から何も変わっていない」というメッセージ(落書き)が今だに殴り書かれている。

まるで城壁の上に陣取っているプロテスタントに見下されているかのような気分すら起こるこの地区は、1970年代の不穏な空気がそのまま残っているかのように、どんよりと沈んでいる。

Free Derry Corner

そもそも「北アイルランド紛争」と言われる始まりは、1969年にさかのぼる。

少数のユニオニストに支配され、差別され続けられていたデリーをはじめとした北アイルランドのカトリック教徒(ナショナリスト)がアメリカの公民権運動やパリ5月革命などの市民運動に触発されて、プロテスタントが運営する北アイルランド警察隊と小規模な暴動がおこり始めていた。

上の写真はFree Derry Cornerと呼ばれる場所。

1969年1月5日、デリーで公民権運動デモが行われた際に、John Caker Caseyによって民家の壁に書かれたのが、初めとされる「北アイルランド紛争」の象徴的モミュメント。
この地にレパブリカンは「Free Derry」と宣言し、バリケードをボグサイド地区に構築して占拠した。

尚、バリケードは1972年7月のOperation Motormanというイギリス軍の夜襲により破壊されるまでレパブリカンが守り続けていた。


1689年8月12日のデリー包囲戦(Derry -1を参照)の戦勝を例年通り祝うために、アルスター各地から強硬派のユニオニストがデリーに集結した。ナショナリス トは、かれらに石を浴びせかけ、怒ったユニオニスト側は北アイルランド警官隊と共にボグサイドへ突入、ボグサイドで事実上の市街戦が開始される。
もはや無秩序状態となり、その後イギリス正規軍が治安保持の目的で警備、駐屯することとなる。

これが「Battle Of Bogside」 北アイルランド紛争の発火点ともなった事件であった。


そして、1972年1月30日。
この地で最大の悲劇が襲う。

上の2枚の写真は(後に説明する)1980年でのH-Blocks(強制収容所跡)におけるハンガーストライキの祈念碑。
中心に飾られた「鎖にからまったハト」
自由もなく、平等に扱われないというレパブリカンの負の感情を吐露している。

Cannons on the Derry Walls, The Bogside on the right


そして、ボグサイド地区に向けられてキャノン砲が睨みをきかせて待機している。
ちなみに後ろの赤い建物は監視所。
つい数年前まで、この城壁を歩いている人達は、軍により常にカメラにて監視され続けられていたらしい。

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