4 November 2009

Donegal -1 : アイルランド最果ての都市ドネゴール


1: Donegal City Centre



ここ数週間の間、ずーーっとDerryの歴史ついて調べるために、英文の資料を読み漁ったり、凄惨な映像を見続けたせいで、書きながら沈鬱な気分になってしまいました・・・。

うーーーん、気分転換!


デリーをぐるりと一周したあと、Irelandの国境を突破したいという思いに駆られていた。
その時の国境のイメージは、高い壁が立ちはだかり、銃を携えた軍隊が睨みを利かせて検問している、と思っていたら・・・。

↑これが国境のしるしみたいでした(^-^)↑

ホッとしたと同時に、何か少し拍子抜け・・・。
しかし、道路標示はイギリスのマイル表示に代わり、キロ表示。
アイルランドでイギリスの車のメーター(マイル表示)の通り制限速度まで走ったら、おまわりさんに捕まりますのでご注意を。

目指すはDonegal(ドネゴール)という港町。そして、ヨーロッパで一番の高さを誇る「スリーヴ・リーグ」という崖に向かってみる。

N13を気持ちよく走っていたら、早速不思議な遺跡のような丘を発見。
道路沿いの放牧地の黄緑色の牧草と、Tor(トール)みたいな遺跡の丘の深い緑のコントラストが何とも美しい。



これは行ってみるしかない!!と思い、丘に向かって車を進めてみたが・・・。

他人の所有者の土地内であった・・・。
おまけに遺跡に辿りつくまでは、結構長い上り坂を登らなくてはならないので、仕方なく断念。

ここはBurt Castleという古城跡で16世紀にO'Dohertry一族が建造した要塞で、イングランド軍に攻撃されて廃墟となったらしい。
また、後に紹介するGrianan Aillighと同様に、デリーからレタケニーの町を一望できる見張り台のような役割も果たしていたらしい。

Burt Castle


そのあと、比較的大きな町Letterkennyを超えて、「良い雰囲気」の町を通過していく。

本当ならば立ち止まってゆっくり見たいのだが、County Donegalには鉄道が走っていない
よって、移動は馬車か自動車(前者は100年程前の話)しかないので、町の中心部に入ってしまうと、渋滞に巻き込まれてしまう。(なので迂回路が整備されている)

またドネゴールも、町の名前を聞いたことがある位で、実際どのような町かも分からない。
(ったく、事前に調べろ!)

しかし、ドネゴールのCity Centreに入るにつれて渋滞が物凄い。
人口2000人程度の町にもかかわらず・・・。
よって、避難&休息目的で、駐車場に飛び込むように車を停めた。


しかし、ポンドしか所持していないのに、何故駐車料金を支払えたのか?
それはパリ旅行時に余ったユーロの小銭(3ユーロ程度だと記憶)を持ってきたからであった(笑)
これで、手持ちのユーロは、ほぼ使いきりました(^^)

Tourist Informationを見つけて地図を貰って、早速散策してみることに。
この日はロータリーの中でマーケットが開催されていて、とても賑やか。
写真も何枚か撮ったはずだけど・・・。

どうやら旅の途中で消してしまったみたい・・・。

上の写真の奥の建物はSt. Patrick Church of the Four Masters。
立ち寄ればよかった・・・(号泣)


ここはドネゴール城。
Donegal(ゲール語だとDún na nGall)という町の由来は「外国に対する要塞」という意味らしいのだが、この町は1159年にヴァイキングの襲来で一度破壊されている。

しかし、港町で交通の要所なので、この地域を支配していたO'Donnell一族が1474年にゲーリック調の城を建立した。

この城は当時のアイルランドの中で最も素晴らしいゲール調の城のひとつだ、という評価を与えられていたらしい。
そして1607年イギリス軍とO'Donnell一族との戦いが始まり、1611年に一族は敗北。この城をイギリスに明け渡した。

1800年代に風化により廃墟と化したが、1990年以降の修繕によって当時の姿を伺うことができるようになった。
よく写真を見ると一部壁の色が違います。


ここは城の隣にあった教会。
もっと元気と勇気を出して、街中を散策しておけばよかった、と今更ながら後悔。


そしてここはFranciscan Friary(フランシスカン修道院跡)。
町の中心地から少しはずれたRiver Eske沿いにひっそりと建っている。


この修道院は1474年にドネゴール城と同様、Red Hugh O'Donnellとぞの妻Naula O'Brienによって設立され、1588年にイギリス軍に搾取されるまで、この地域の有名なカトリック修道院として存在していた。


イギリス軍がこの地区を占領している間、この修道院はプロテスタントの教会として利用されていたが、1632~1636年の間にイギリス軍によって破壊された。


River EskeがIrelandの過去の歴史と相まってとても物悲しげに映る。

そして、ここからドネゴール湾を経由して大西洋、そしてアメリカに行くことができる。
日本とは本当に地球の裏側。
思えば遠くへ独りで来たもんだ・・・。



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