9 November 2009

Derry -5 : Sunday Bloody Sunday


5 : Bloody Sunday - 30th January 1972



ジョン・レノンがこの事件後、Sunday Bloody Sundayというタイトル曲で、激しくイギリス政府及びロイヤリスト(RUC)を糾弾し、この事件当初ダブリンに住んでいた12歳のボーノは、のちに結成したU2で同タイトルの曲を、非暴力の象徴である「白い旗」を振りながら歌っていた(この曲のために、当時IRAの標的にされていた経緯がある)という程、多くのアイリッシュに深い心の傷を与え、世界中に衝撃を与えた「血の日曜日」事件。

1972年1月30日(日曜日)

前年から行われていたナショナリスト過激派に対する「インターンメント」(逮捕状を必要としない拘禁・・・400人あまりが一斉拘束された)に反対するために、数千人の一般市民が非武装でデモを開始した。


非武装・非暴力の行進だった為に、特に大きなトラブルもなく平和的なデモ行進が行われていたが、開始およそ1時間半後の、午後4時過ぎにイギリス軍がバリケードを超えてデモ隊の側に突入。
たくさんのデモ参加者を逮捕・拘束せよという指令が下され、デモ鎮圧のために、イギリス軍の精鋭パラシュート部隊が「自国民」であるデモ参加者を標的に発砲した。


17歳の少年が英軍に背中を向けて走って逃げていくところを撃たれた。少年はこの事件の最初の死者となった。そして13人のデモ参加者が発砲により死傷した。

イギリス軍が無抵抗な自国民に無差別に発砲したという(当時の政府はフーリガンに対する自己防衛と主張)ショッキングな事件として、今でも語り継がれている。

そしてこの地は事件の中心地、ロズヴィル通り。
(天気が違うのは、訪れた翌日も来てしまったためです)



Bloody Sundayの慰霊碑。
数多くの花束が事件後35年以上も経過しているというのに、数多くの花々が献花されている。

この事件以降、レパブリカン(IRA)とロイヤリスト(URC)、そして英国軍の抗争は激化の一途を辿り、ベルファストにおける「血の金曜日事件」、ロンドンの高級デパート、ハロッズ爆破事件やマンチェスター中心部爆破テロ、英国軍基地襲撃、それに呼応するかのように、ロイヤリストの無差別殺人やナショナリストに対する英国軍・地元警察による拷問に近い取り調べなど、負の連鎖が1990年代まで続いていった。



Sunday Bloody Sunday


今日のニュースは信じられない
僕はいくら目を閉じても、あの光景を追い払うことはできない
いつまで僕達はこの歌を歌い続けねばいけないのか
一体いつまで・・・

今夜、僕達はひとつになれるはずなのに
今夜こそは・・・

子供達の足元には割れたビンが転がっている
袋小路には死体が散らばっている
だけど、僕は戦いへの呼び掛けには耳を傾けないよ
彼ら(レパブリカンとロイヤリスト)の行為は、宗派という壁を超えて
僕に怒りを募らせている。

血みどろの日曜日
血みどろの日曜日



そして戦いが始まった
多くの者は戦いに敗れて死んでいった、でも誰が勝ったのか教えてくれ
塹壕が僕達の心の中に深く引き裂かれた
そして、母親、子供、兄弟、姉妹
みんなも引き裂かれてしまった

血みどろの日曜日
血みどろの日曜日


いつまで僕達はこの歌を歌い続けねばいけないのか
一体いつまで・・・

今夜、僕達はひとつになれるのに・・・
今夜こそは・・・

君の涙をぬぐえ
涙をぬぐうんだ

僕が(君の)涙をぬぐってあげるよ
血に染まった目を、僕が・・・

どうやら僕達にテロに対する免疫が出来上がっているようだ。
事実が歪められてフィクションとなり、テレビや政府報道が事実となることに対して

今日も数百万人もの人達が泣き叫んでいる
明日彼らが死んでしまうかもしれないという間、
僕達は(テレビを見ながら)飲み食いしてくつろいでいる

本当の戦いが今始まったんだ
(カトリックか国教会かどちらかの)キリストの勝利を証明するために・・・

(U2 : From WAR(1983), Lyrics : Bono  意訳:Miya)




*殆ど意訳です。
カトリックの父とプロテスタントの母との間で生まれ、複雑な境遇の中ダブリンで過ごしていた12歳当時のボノの気持ちになって訳してみました。


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