7 September 2009

Caernarfon -1 : プリンス・オブ・ウェールズ(英国皇太子)の地


1 : The Walled City of 'Prince of Wales'



より大きな地図で Talsarnau - Caernarfon - Snowdon を表示

次に向かうは、英国皇太子の王位式を行われる由緒ある地、カナーヴォン。


まずは電車でPorthmadogに向かう。
さようならTarnarsau!

Portmadog駅に到着した後、路線バスに乗り換えて、一路カナーヴォンへ。
(何故なら、Portmadog~Caernarfon間は鉄道が通っていないから)

尚、この日は他に行きたい場所があったので、前号にて紹介したRed Rover Ticket(一日乗車チケット)を購入。
路線バスで揺られること30~40分、ようやく世界遺産「カナーヴォン」に到着。


バスでこの地に向かっているうちに、天気も良くなった。
そして久々に古い「イギリス」的な街並みを見ることが出来て、少しホッとした。


このカナーヴォンという土地について少々解説を。

当時、ウェールズ大公(ウェールズの君主)であったルウェリン・アプ・グリフィズがイングランドへの反乱を起こしたものの、敵対していた南部ウェールズとイングランドの策略に遭い、失敗し戦死。

イングランド王、エドワード1世は、北ウェールズの平定の為、1283年にカナーヴォン城を建設。
スノードニアにあったグリフィズ王国占領の拠点として、他に建てた城塞の中で一番重要な場所とされていた。


首長を失い、武力で平定されたとはいえ、ウェールズ人が決定的にイングランドの支配下になったわけではなかった。ウェールズの国民には古代ローマ軍団やアングロ・サクソンさらにはアングロ・ノルマンの度重なる侵略に抵抗し、自由と独立を求めて来た血が脈々と流れている。

武力平定だけではウェールズ公国の統治が難しいと考えたエドワード1世は王妃エリナーの懐妊を知り、策略を練った。

もし男子が生まれたならば、ルウェリン・アプ・グリフィズで断絶したウェールズの首長「Prince of Wales」に任命しウェールズ人との融和をはかろうと考えた。


その為にはウェールズで出産をしなければ意味がないと、エリナー王妃をウェールズ北西部の城塞カナーヴォン城に呼び寄せた。

1284年4月25日、王妃はエドワード一世の念願通り男子(後のエドワード二世)を出産。
エドワード一世は、ウェールズの諸侯を招いて・・・

~A Prince of Wales who could speak no English~
(ウェールズで生まれ、英語を全く話さない正真正銘のウェールズの首長だ)

と紹介し、同時にウェールズは事実上イングランドのものだという宣言をした。
(Prince=Principal 首長・君主の意味で、決して「王様の息子」ではありません)


よって、現在においてもチャールズ皇太子は「Prince of Wales」と呼ばれ、故ダイアナ妃もまた「Princess of Wales」と呼ばれていた。
(尚、チャールズ皇太子再婚相手のカミラは、ダイアナ妃に配慮して「コーンウォール王妃」と名乗っている)


ちなみに、「Prince of Wales」は日本にとっても強い関わりがある。
同名の戦艦、プリンス・オブ・ウェールズ号は日本海軍によって沈没された。

1941年12月10日

チャーチル首相の指示で、イギリス海軍 東洋艦隊に配属された当時最新鋭の戦艦、「プリンス・オブ・ウェールズ」号はマレー沖海戦で、日本海軍の航空部隊(九六式陸攻、一式陸攻)によって撃沈。


この報告を聞いた首相チャーチルは、「あの艦が!」と絶句し、「戦争全体で(その報告以外、)私に直接的な衝撃を与えたことはなかった」と著書の第二次世界大戦回顧録で語っている。

英国海軍の最新鋭戦艦である本艦が、作戦行動中に航空機の攻撃のみで撃沈されたという事実は、世界の海軍関係者に衝撃を与え、海戦の主役が戦艦から航空機に移った事を広く知らしめる結果になった。

以降各国の海軍は戦艦を中心とした大鑑巨砲主義から航空機部隊(空母機動部隊)を主軸とする新たな艦隊編成を急ぐ事になった。

(WIKI等より引用)

・・・以上、カナーヴォン、そしてプリンス・オブ・ウェールズについて説明しました。

本題の町についての印象等については、また後程(^^)/


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2 comments:

  1. こんにちは!

    先日北アイルランドのデリーに行ったのですが
    その歴史をもっとよく知りたいなと思って調べていたら
    ここにたどりつきました。

    今わたしはアイルランドに住んでいるんですが、
    2年前はカナーヴォン近くのバンガーという町に住んでいて、
    友達は何人かカナーヴォンに住んでいたし、
    なつかしくなってコメントしました。

    ちなみにわたしのホストファーザーは根っからのWelshで
    「イングランド人がプリンス・オブ・ウェールズなんて認めない!」
    と常々言ってましたw

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  2. はぉさん>
    おはようございます(笑)

    Bangorに住んでいたのですかー!しかも今は憧れのアイルランドに!!

    Bangorは「学生の街」って感じで北ウェールズにしては、珍しく(?)国際色豊かな人通りだったと記憶してます。

    Derry関連(北アイルランド問題)については、当ブログでの-The Troubles-というラベルでまとめていますので、良かったら見てくださいな☆

    はぉさんのブログにも遊びに行きますので、よろしくです☆

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